京成押上線・押上駅〜八広駅間の連続立体交差事業。“20年越しの悲願”で完成しました。区内では6カ所の踏切がなくなり、明治通りの交通渋滞も大幅に解消されました。

1994年に、踏切事故で2人が即死する痛ましい事故が発生しました。線路内でバイクで転倒した男性を助けようとした20代の男性が、列車にはねられて即死するという痛ましい事故でした。その前から、都議として立体交差化に取り組んでいた先輩の石井顧問(当時・墨田区選出の都議会議員)は、「命懸けで人の命を守ろうとした勇気ある行動を決して忘れない。一日も早く立体化を進めていくことが、青年の行動に応える道だ」と早期の実現を訴えてきました。

その事故が大きな契機となり、翌95年に国庫補助金の対象に採択。96年には都、区、京成電鉄の三者間で基本協定と費用負担の覚書が締結され、その後の都市計画決定、2000年の事業着手へと進んだのです。

石井顧問の「必ず実現してみせる」との粘り強い取り組みを側で見ていて、「命を守る」ため安全・安心の政治の貫く姿勢を学びました。また、私もその思いを引き継ぐカタチで、粘り強く取り組んできました。まだ、高架化が実現していない地域も含め、今後も全力で取り組んで参ります。